モンテンルパ 奇跡の物語
昭和26年(1951年)1月19日夜―
太平洋戦争が終わって6年経ったにもかかわらず、フィリピン・ニュービリビッド刑務所(通称:モンテンルパ刑務所)には100名以上の元・日本兵が囚われていました。
その日、14名の日本兵が突然に呼び出され、死刑に処せられました。そして、極秘に行われた死刑は、焼け野原からの復興に沸く日本には届きませんでした。
太平洋戦争前、戦中に数々のヒット曲を放つ国民的人気歌手・渡辺はま子(斉藤由貴)は、戦時中に歌った『蘇州夜曲』などのヒット曲が、日本国民の心を中国大陸へと駆り立てて、結果として、日中両国の人々に犠牲を生んだことを忘れることができません。その後悔の念から、はま子は戦後、自身の歌手活動も顧みず、巣鴨プリズンを慰問に訪れていました。
そんなある日、はま子はフィリピンの刑務所で行われた元日本兵の処刑を知らされます。見逃すような新聞記事でしか世間に伝えられなかった14人の死の真実を知るために、はま子は復員局を訪ねます。
終戦後7年が経ち、すでに復員局はかなり規模を縮小していた中、たった一人のフィリピン担当・植木信吉(陣内智則)は、はま子が知らなかった、戦争の悲劇を告げます。反日感情の根強いフィリピンのモンテンルパにある刑務所には、戦犯となった元・日本兵が108人も投獄されている。しかも彼らの多くが、証人として名乗り出たフィリピン人に指を差されると、詳しく事実関係を調べることもなく有罪、死刑となり、また死刑になった14名のうちの数名も該当の事件が起こった地域へ行ったことがないという有様でした。遠い異国の地で、孤独な戦いを強いられている日本兵について、日本ではほとんどが知られていません。
植木は、108名の日本兵を救うためにたった一人で奮闘していました。
出世を断わり、結婚は先延ばし、給料もフィリピンとの通信費につぎ込みながら・・・。
そんな植木が、フィリピンからの帰還兵が預かってきた手紙を手掛かりに調べ上げて作った、戦犯と留守家族の名簿が、日本兵救出の唯一の手掛かりでした。
加賀尾秀忍(古谷一行)は、3年前の昭和24年、モンテンルパの悲惨な状況を知り、植木の頼みでフィリピンに渡り、教誨師として108名の日本兵の心の支えとなっていました。
植木から届いた、はま子の弔いの言葉を受け止めた加賀尾は、はま子に、ある楽譜を届けました。フィリピンで故郷を思う死刑囚が自身の想いを綴った「あゝモンテンルパの夜は更けて」でした。
はま子は、曲をレコード化します。さらに復員局植木らの尽力を得て、昭和27年のクリスマス、当時国交のなかったフィリピン・モンテンルパでの慰問コンサートを敢行します。
はま子が「あゝモンテンルパの夜は更けて」を歌いだすと、日本兵はたちまち声を揃え、涙の大合唱となりました。
コンサートの様子は、復興ムードに沸く日本でもラジオ放送され、今なお日本人が負い続ける戦争の悲劇として報じられます。
加賀尾はローマ法王へ助命嘆願の手紙を送り、さらに、昭和28年、自身も妻と3人の子を日本の爆撃により亡くしていたフィリピン・キリノ大統領(森次晃嗣)と面会します。
加賀尾は嘆願の言葉よりも、オルゴールを大統領に差し出しました。
「哀しい歌ですね。何という歌ですか?」
「これは『あゝモンテンルパの夜は更けて』という音楽で、死刑囚が作詞、作曲したものです」
肉親を奪われ、反日感情を抱くキリノ大統領は、メロディに耳を澄ませ、ただ深くうなずくだけでした・・・・・。
ヒューマニズムに満ち、強い意志を持った人々の行動が生んだ愛と感動の実在の物語が舞台化されます。
戦争という暴力の理不尽さ、その理不尽さの中にも人間の愛を失わなかった
人の存在。未来に語り継がなくてはならない多くのことがこの舞台にはあります。
役柄紹介
渡辺はま子=斉藤由貴
【108名の日本兵帰国へみちびいた、奇跡の歌声】
歌手・渡辺はま子(1910年~1999年)は、名前の由来のように横浜で生まれ、歌をこよなく愛して横浜で育ちました。戦前から流行歌手として人気をとどろかせ、戦争前夜は、日本国民の思いを中国大陸へ駆り立てる『蘇州夜曲』、『シナの夜』をヒットさせますが、終戦を中国・天津で迎えた後は1年間の収容所生活を余儀なくされます。はま子は、結果として歌を戦争の武器としてしまったことに自責の念に駆られ、収容所への慰問に明け暮れる毎日を送っていました。
フィリピンで戦犯として裁かれ、ニュービリビッド刑務所(通称:モンテンルパ刑務所)に囚われた元・日本兵が作詞、作曲しラジオ番組へ送った『あゝモンテンルパの夜は更けて』の楽譜が届けられたはま子は、当時国交のないモンテンルパ刑務所で慰問コンサートを行い、フィリピン当局に108名の元・日本兵の刑の減免を嘆願します・・・。
渡辺はま子役には、高視聴率を記録したドラマ『同窓会~ラブ・アゲイン症候群~』での演技が主婦層の共感を集め、今年、作詞活動40周年を迎えた松本隆の名曲『卒業』の歌い手としても再び脚光を浴び、目覚ましい活躍を見せる斉藤由貴が演じます。
『レ・ミゼラブル』の日本初演(1987年帝劇)にコゼット役で出演するなど、ミュージカル経験の豊富な斉藤由貴が、1992年に青山劇場で上演されたミュージカル『ザ・ファイブ・オクロック・ガール 5時の恋人』以来、約18年ぶりに「女優として」歌を披露します。
植木信吉=陣内智則
【日本とフィリピンの唯一の架け橋となった復員局員】
日本とフィリピンの唯一の架け橋となった日本兵復員局のフィリピン担当「植木信吉」役を陣内智則が演じます。
植木信吉さんは、26歳の時(昭和24年)、日本兵の復員局でフィリピン担当を任ぜられ、当時フィリピンに約300名囚われていた元・日本兵の留守家族を探り当て、元・日本兵と家族の唯一の架け橋として、最後に残った108名の全員帰国実現のために尽力。88歳(大正10年9月生まれ)となった現在も、元・日本兵と家族、支援者から成る「モンテンルパの会」を取り仕切り、活躍されています。
シリアスな演劇に初めて挑戦する、陣内智則にご期待下さい。
前川邦子=古村比呂
【戦争に翻弄された、悲劇の日本人女性】
フィリピンに囚われる夫の帰りを待つ「前川邦子」役を古村比呂が演じます。
日本国から夫の戦死の通知を受け取った邦子は、家族のために再婚しますが、実は夫がフィリピンにて戦犯として囚われていることを知ります。苦悩する留守家族女性「前川邦子」を古村比呂が演じます。
前川邦子さんはもちろん実在の人物です。
日本兵の帰国後、事情を知った夫が身を引き、前川さんはフィリピンに囚われた前の夫とよりを戻すことになります。
加賀尾秀忍=古谷一行
【フィリピンに単身で乗り込み、日本兵の支えとなった教誨師】
昭和24年、復員局員・植木信吉たっての願いで、単身フィリピンに乗り込み、108名の戦犯と苦楽を共にして、彼らの心の支えとなった教誨師「加賀尾秀忍」役を古谷一行が演じます。
シアタークリエの前身「芸術座」で繰り返し上演された、宮尾登美子原作の名作舞台『藏』の主役・烈の父・意造役が今も記憶に鮮やかな古谷一行の圧倒的重厚感にご期待下さい。
辻 豊=坂元健児
【モンテンルパの悲劇を見いだし、日本中に訴えかけた新聞記者】
モンテンルパ刑務所の日本兵と加賀尾を単身で訪ね、戦争がもたらした悲劇を知った辻は、植木と手を携え、日本兵全員の帰国のために奔走します。
キリノ大統領=森次晃嗣
【日本兵帰国の鍵を握るフィリピン大統領】
フィリピンの大統領。戦争中の爆撃で、自身の家族を失った大統領は、昭和26年1月に14名の日本兵の死刑を執行します。
心を固く閉ざした大統領に、加賀尾は面会を申し込みますが・・・。






